「本来、クリスマスは家族や親戚が集まって和気あいあい過ごすもの。だから、わざわざ外に出かけて行ったり、家族よりも恋人同士で過ごすことを優先する日本のクリスマスはおかしい。日本のクリスマスは商業的すぎる」
日本人のみなさん、クリスマスに日本を訪れた外国人、特に欧米人の感想としてこんな意見を聞いたことはありませんか?
もともとクリスマスは日本発祥のイベントではないので、「本家本元」からそう言われてしまうと何も反論の余地がなく、「はい、日本のクリスマスはおかしいですよね…」と納得してしまう人がほとんどだと思います。
でも、ちょっと待って!
そもそも欧米人の言う「本来のクリスマス」って本当に「本来」なのでしょうか?
前回の時事ネタブログで、クリスマスがイエス・キリストの誕生日ではない(らしい)、それ故に昔はキリスト教にとってあまり重要なイベントではなかった、というお話をしました。
1200年代になってヨーロッパで王侯貴族がクリスマスに宴会を催すことが流行しましたが、一般人にとっては祝日でさえないごく普通の日。クリスマスツリーもカードもプレゼントもありませんでした。もちろん、サンタクロースも。
では、クリスマスはいつからこんなに盛大にお祝いされるようになったのでしょうか?
実は現代的なクリスマスの始まりはそれほど古いものではなく、19 世紀のイギリス、ヴィクトリア女王の時代でした。そして、ツリーも、カードも、サンタクロースのプレゼントも、そして「家族親戚が集まって和気あいあいと過ごすクリスマス」も、その起源が比較的はっきりしているのです。
まずクリスマスツリーですが、ヨーロッパにはキリスト教が広まる前から聖なる木をモチーフとした神話が存在し、特にドイツ語圏では常緑樹を冬至の時期に飾る風習があったようです。当時のイギリス王家はドイツと縁の深いハノーヴァー朝の系譜だったので、19世紀初頭にはクリスマスツリーを飾る習慣が宮廷に持ち込まれたようです。
ヴィクトリア女王の夫アルバート王配もドイツのザクセン出身で、イギリスではアルバート王配がクリスマスツリーを飾る文化を広めたということが定説になっています。1848年のロンドンの新聞The Illustrated London Newsにヴィクトリア女王、アルバート王配とその子供たちがツリーの周りに集う様子が描かれていて、このイラストからイギリス、そして海を渡ったアメリカにクリスマスツリーが広まって行ったそうです。
クリスマスカードは、まず1843年にイギリスの公文書館のヘンリー・コールという役人が初めて商業的なクリスマスカードを発行し、クリスマスに合わせて挨拶のカードを送り合う習慣が一般的に広まるきっかけになったと言われています。アメリカではルイス・プラングという版画家兼印刷業者が1873年に大量生産して販売を始めました。
クリスマスプレゼントは、もともとキリスト教では中世から新年の日に親しい者同士でプレゼントを贈り合う習慣があったのですが、1823年にアメリカで発表された『A Visit from St. Nicholas(聖ニコラスの訪問)』という詩(冒頭の文言から『The Night Before Christmas』とも呼ばれます)によって、「クリスマスイブの夜にサンタクロースがトナカイに曳かれたそりに乗って来て、煙突から家の中に入って来てプレゼントを置いて行く」というエピソードが広まりました。この詩の作者のクレメント・クラーク・ムーアは、キリスト教の聖人ニコラスに顔見知りのオランダ人の大工の風貌を重ねてイメージを作り上げたそうで、それが聖ニコラスのオランダ語発音「サンタ・クロース」が定着した所以です。
親しい者同士で贈り物を交換をするだけでなく、サンタクロースが子供たちにまんべんなくプレゼントを持って来る、というアイデアは当時のイギリス商人たちの商売魂をおおいにくすぐりました。19世紀の産業革命を経てイギリスの経済は急激に発達し、商業が盛んになっていました。しかし、ただでさえ寒い時期はどこの商店も客足が寂しくなるもの。冬真っただ中の冬至の時期に一気に売り上げを伸ばせるチャンスとして、小売業者たちがクリスマス商戦を繰り広げるきっかけとなりました。
さて、こうしてみると近代・現代のクリスマスはバリバリの商業ベースで発展してきたようです。「日本のクリスマスは商業的すぎる」と言われるけれど、こうしてみると日本の方がよほど正統派クリスマスを踏襲しているじゃないですか!
ちなみに、「クリスマスには家族親戚が集まって和気あいあいすごすもの」という考え方は、1843年に書かれたチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』に由来しています。
「え?『クリスマス・キャロル』って、クリスマスから発想を得たお話じゃなかったの?」と驚く人もいるでしょう。そうです。もともと「理想のクリスマスの過ごし方」があってそれについて小説を書いたのではなく、ディケンズ自身「クリスマスとはこうあるべき」という理想を掲げて『クリスマス・キャロル』を書き上げ、その理想が後世に広まって行ったのです。
当時の作家の間では、チューダー朝時代のイギリスを理想とし、「チューダー文化に戻ろう」という回帰主義が高まっていました。ただし、史実のチューダー朝時代の様子が正確に伝わっていたとは考え難く、当時の思想家が作り上げた虚像であった部分も大きかったと言われています。そして、それは当時のヴィクトリア朝を暗に批判するものでした。
ヴィクトリア女王自身はとても堅実な人柄で、政治にも真摯に取り組んでいましたが、それでも急に発達した商業主義は簡単にコントロールできるものではありませんでした。19世紀のイギリスは、お金にまつわる競争や犯罪などが増え、人々のモラルが問われる時代でもあったのです。そんな中で、文化人を中心に当時の社会を批判し、その反動として過去の歴史に理想を求める動きがあったのはある意味自然な流れでした。
さて、クリスマスの習慣の中で実際に中世、あるいはそれよりずっと以前から残っているものを一つ紹介しましょう。「mistletoe(ヤドリギ)」です。
クリスマスの飾りの中でも日本ではあまりなじみがないものだと思いますが、『ママがサンタにキスをした』『ザ・クリスマスソング』など、クリスマスの歌には頻繁に「mistletoe」という言葉が登場します。
これもキリスト教以前のヨーロッパの古い風習から来ていると思われますが、欧米では中世の頃からクリスマスにヤドリギを束ねてドアの上などに逆さに吊るし、この下にいる男女は必ずキスをする、とされています。つまり、クリスマスツリーもクリスマスカードもサンタクロースのプレゼントも無かった時代から、「クリスマスは恋人同士がロマンチックに過ごすもの」という考え方はあったようなのです。
というわけで、日本のみなさん、外国人から批判されがちな「商業ベースのクリスマス」「恋人のためのクリスマス」は、実はどちらも本来のクリスマスの在り方として正しかったと言えるのです。今年も、来年以降も、ぜひ心置きなく日本のクリスマスをお楽しみくださいませ。
ちなみに、北米で初めて感謝祭が祝われたのは1600年代と言われています。1700年代、初代大統領のジョージ・ワシントンの頃には公式に感謝祭を祝っていた記録が残っています。
というわけで、アメリカではクリスマスを祝う習慣よりも感謝祭の方が歴史が古かったのです。感謝祭の方が先に日が決まっていて、クリスマスを祝う習慣は19世紀にイギリスからやってきたので、両者が一か月足らずしか離れていない、という結果になったようです。
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