クリスマスってそもそもなに? クリスマスの秘密その1

ケリアブログ

いよいよ12月に入りました。今年もあと一か月。そして、12月と言えばクリスマス……

ところで、クリスマスって何ですか? と聞かれたら、ほとんどの人が「イエス・キリストの誕生日」と答えると思います。

でも、ちょっと待って。クリスマスって本当にイエス様が生まれた日なの?

実は、そもそもイエス・キリストがいつ生まれたのか、はっきりとわかってはいないんです。

聖書によると、ローマ時代の紀元元年頃、「大ヘロデ王の時代に国勢調査のためにナザレのヨハネと妻のマリアがベツレヘムにやってきて、宿が全て満室だったので仕方なく馬小屋に身を寄せたところ、マリアが産気づいてイエスが誕生した」ということですが……

大ヘロデ王が亡くなったのが紀元前4年。それをもとに、一般的にはイエスが生まれたのも紀元前4年頃とされています(そもそも西暦ではイエス・キリストが生まれた年を元年としていたはずなのですが、ここでズレが生じてしまいます)。そして国勢調査が行われたのはその息子のヘロデ・アルケラウス王の時代で紀元6年。他にも聖書の記述にはいろいろと矛盾があります。例えば、新鮮な牧草が生えていない時期に羊飼いが羊の群を放牧しているのはおかしい、などです。

実は、キリスト教の教会でも12月25日がイエス様の誕生日だと認めているわけではありません。正確には、「神がイエス・キリストをこの世界に遣わしたことを記念する日」なのです。 実際に歴史の中でイエス・キリストの誕生日に関する記述が現れたのは336年。それまでキリスト教徒は300年以上イエス様の誕生日を祝ってこなかったのです。

12月25日が記念日と決まっても、クリスマスは現在と同じような重要な祭日ではありませんでした。まあ本当にこの日が誕生日である可能性は薄いので、盛り上がらないのも仕方ないのかもしれません。キリスト教黎明期から中世を通じて、キリスト教徒にとっていちばん大事な祝日は春の復活祭(イースター)でした。

さて、本当の誕生日でないのなら、どういう理由で12月25日が記念日に決められたのでしょうか?

西洋で一般的に信じらているのは、キリスト教以前からローマに根付いていたミトラ教の祭、あるいはローマ神話の農耕神サトゥルヌスの祭日に合わせ、キリスト教に改宗した人たちが以前と同じ祝日に祭を行うようにしたという説です。

ここで一つ注目すべきポイントは、ミトラ教の神は太陽神であり、サトゥルヌスもまたギリシャ神話の太陽の神ヘリオスと同一視される神であったということです。つまり、両方とも太陽を象徴する存在だったのです。

そして、12月25日はもともとローマでは冬至の日とされていました。ヨーロッパの古い宗教や神話では、日が一番短くなる冬至は太陽が一度死んで生まれかわる日だとされていることが多いのです。だから、太陽を象徴する神の祭りがこの時期に行われたのでしょう。

そして、異教のお祭りはある程度初期のクリスマスにも影響を与えていたらしく、羽目をはずした乱痴気騒ぎが一般的になっていた時期もあり、教会はたびたび「クリスマス禁止令」を出しています。現在のクリスマスとはずいぶん雰囲気が違ったようですね。

さて、時は下って西暦800年。この年の12月25日、世界史の教科書でもおなじみのカール大帝(シャルルマーニュ)の戴冠式がありました。さらに下って1066年。ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランドを征服し、イギリスに最初に開かれた王朝の初代の王ウィリアム1世となりました。このウィリアム1世の戴冠式も12月25日に行われています。

クリスマスがあまり重要でなかった時代、なぜこの二人の王はわざわざ12月25日を戴冠式の日に選んだのでしょうか?

やはり、ローマ時代より冬至が「太陽が生まれる日」とされていたことが大きかったのでしょう。カール大帝もウィリアム1世も、それまでのヨーロッパ史の中でも大きな偉業を成し遂げたという自負があり、自身を太陽になぞらえて、この日から自分の王朝時代が始まるということを強調したかったのではないでしょうか。

そして、もともとこの日がキリスト降誕の記念日とされたのも、まさにそれが理由だったのでしょう。12月25日は輝かしい太陽が生まれる日、偉大な人物の時代が始まる日だったのです。

さて、カール大帝やウィリアム1世の戴冠は、それまで復活祭や公現祭(エピファニー)比べて軽んじられていたクリスマスが注目されるきっかけになったと言われます。 特にイギリスでは王侯貴族がクリスマスの日に大勢の人を招いてご馳走をするのが慣例化していきました。1206年にはウィリアム1世の玄孫ジョン王がクリスマスディナーのために1500羽の鶏、5000個の卵、20頭の牛、100頭の豚、100頭の羊を注文したという記録があります。いったい何人のお客様を招いたのでしょうか……?

ただし、当時はクリスマスツリーを飾る習慣はなく、クリスマスカードもありませんでした。プレゼントもクリスマスの日にサンタクロースが持って来るのではなく、数日後の1月1日に親しい人の間でプレゼント交換をするものでした。そして、ジョン王の大盤振る舞いのように大勢の人が集う機会はあっても、現在の欧米でのクリスマスのように家族や親戚が集まって厳かに過ごすものではありませんでした。

では、クリスマスが現在の形になったのはいつからなのでしょうか? そして、前回のブラックフライデーの記事の質問……アメリカでは感謝祭がクリスマスより先にあったってどういうこと? 

答えは次回の歴史ブログに続きます!

 

参考文献: 

Champion, Matthew. How to host a medieval Christmas. History Extra, December 2014.

高尾利数、キリスト教を知る辞典 東京堂出版 1996(1999)

堀越孝一、中世ヨーロッパの歴史 講談社学術文庫出版部 2006 

村川堅太郎、長谷川博隆、高橋秀 ギリシア・ローマの盛衰 講談社学術文庫出版部 2000(1993)

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